映画の感想:特別編 『ジョーカー』を観てきました!
実際に映画館で観たのは1週間以上前ですが。
いつもの書こう書こう病でした。
米国では手荷物検査が行われるなど、異様な雰囲気を漂わせて上映された本作。
日本でも15歳未満観覧禁止であるにも関わらずすさまじい盛り上がりを見せていますね。
そんな話題作を敢えて上映から1週間様子見して観に行きました。
映画は大入り満員も楽しいですが、絶対に邪魔されずに見たい初見時です、
そういうリスクを抱えたくはありませんでしたから。
さて、早速ネタバレ全開の感想を書いていこうと思います。
さて、まずは全体的な感想を述べていきましょう。
正直言ってかなり面白かったです。
こんな田舎の劇場でも画質音質共に素晴らしいものを見せてくれていたので、
途中途中「お願い!オチまで面白い作品であって!」とちょっと願いながら観てました。
だってUHD買うかどうかの分水嶺ですもの。
で、しっかりオチまで面白かった、と。これはUHDを買います。決定です。
「レンタルで良いや」とはなりません。それ位面白かったです。
あ、因みに田舎なのでレンタルは旧作ともなれば100円です。税抜きですが。
なのでBlu-rayやUHDを買うハードルはかなり高いんです。
だってレンタルなら60作は借りられる話になる訳ですから。
それに映画って同じ作品をそう何度も短期間に観るものでもないですしね。
勿論そうじゃない場合もありますけど。
とにかく、本作はその場でUHD購入を決定させる程の面白さを持った作品だったという訳です。
アーサーという性根はごく普通の青年(?)が極悪人ジョーカーへと変化するお話。
重要なのは彼のおかれた状況や環境だと私は思っています。
直接の引き金となったのは地下鉄の3人ではありますが、もし彼がそこそこに幸せな生活を送っていたら例え拳銃を持っていたとしても彼らを射殺するまではいかなかったでしょう。
では何故彼は凶行に(思わず)およんでしまったのか。
前提に彼が世間から要らない人間として扱われているというものがあります。
彼に優しくしてくれるのは母親と同僚の小人の男性だけです。
無邪気な幼い子達は彼の芸やあやしに笑顔を向けてはくれますが、
それらは彼のミスやその子供の母親によって奪われてしまいます。
頼りにしてるカウンセラーでさえ話はまともに聞いてくれてはいません。
子供にすらバカにされ、暴力を振るわれ、挙句の果てに弁償を強制させられる。
そして誰も自分を愛してくれない、認めてくれない、必要としてくれない。
彼の精神は行くところまで行ってしまったのです。
そこで現れたのが酔った身なりの良い若いサラリーマン3人組。
下劣な話題を喜々として語り、同じ車両にいた女性にこれまた下品な絡みをする3人。
そんな状況にストレスを感じてしまったのか持病の笑いが出てしまうアーサー。
当然絡まれます。結果的(間接的)に女性を助けたアーサーですが、
自分はボコボコにされる始末。それも社会的に恵まれているであろう事が容易に想像出来る連中から。
ここでアーサーはついに一線を越えてしまう訳です。
その後はきっちり3人にトドメを刺し、妙な解放感から踊りだすアーサー。名シーンですね。
もうこの時点で立派な殺人者となってしまった彼ですが、この後更に後戻り出来なくなる展開が起こります。
そう、まさかの「ピエロの殺人鬼のヒーロー扱い」です。
あれほど誰からも認められなかった、求められなかった自分がエリートサラリーマンを殺したら途端に巷のヒーロー扱い。
今まで一度も満たされなかった自己承認欲求が凄まじい勢いで満たされたに違いありません。
その時の高揚感、爽快感、感動、それらは推して知るべしですね。
もう彼は以前のアーサーには戻れなくなりました。
そして自分に降り掛かってきた不幸のそもそもの原因が母親であると知り、
彼女を手にかけた時、彼は完全にジョーカーへと変貌してしまいました。
今まで依存先として吸っていただけであろうタバコもジョーカーへと変貌した後は実に爽快に吸っていましたね。
タバコも世間の嫌われ者として扱われて久しいので、本作のジョーカーが喫煙者なのもきっと意味のある設定だと思います。
とにかくジョーカーへと覚醒した後は全ての行動が「おや、格好良いね」となるレベルにスタイリッシュでしたね。
階段でのダンスや電車からの降車シーン、マレーの番組での登場シーン等々。
色んな感想が頭の中から出てきて気の赴くままに書いてるので、
いつも取っ散らかってる感想が更に酷くなっていますね。ごめんなさい。
とにかく、私が思った事、そして主張したい事は
「『ジョーカー』は環境によって生まれた悪者であり、環境を無視してはならない」という事です。
アーサーのおかれた環境・状況を思い出してみて下さい。
彼の障害(精神的病気?)の原因は母親が付き合っていた男による虐待のせいですし、
そもそも彼は養子です。母親が彼を養子にさえしなければ貧困ですらなかった可能性もあります。
そんな最初から終わっている様な状況です。
むしろそこから「人々を笑わせたい」という純粋な思いを抱いてコメディアンを目指そうとしているのは立派とすら言えます。
チンピラ堕ちしてもおかしくない、むしろ普通そうなるような状況にも関わらずです。
それに健気に母親の介護もしっかりしてましたしね。本当に立派ですよ、アーサーは。
巷では社会的弱者に対する自己責任論が叫ばれ、
「ジョーカー」へもその主張はぶつけられています。
しかし彼らのおかれている状況は果たして全てが自己責任なのでしょうか。
そこの辺りを「ジョーカー」をご覧になった方々には感じて欲しいなと思います。
アーサーにも支えてくれる人が1人でもいれば、きっと彼は地下鉄で拳銃は抜かず
ジョーカーへもなっていないはずですから。