『恋は雨上がりのように』完結までの感想 part2

すみません。本当に申し訳ないです。

 

書きたいことが出てきたり引っ込んだりして文章がいつも以上に滅茶苦茶になってしまいました。

パート2という事で仕切り直しさせていただきます。

 

 

前のパートの最後に「あきらには挫折したままでいて欲しくなかったから」という店長が彼女を実質振った理由を結論付けました。

 

上記理由を骨として肉をつけていきましょう。要は年齢問題です。

 

①あきらの年齢

まずあきらは17歳。手を出せばバッチリ犯罪ですね。

しかしこの二人ならあきらの卒業まではしっかりと

清い関係のお付き合いが出来たのでは、という事も想像に難くありませんね。

 

②歳の差

なんと28歳差です。本当に親子程年齢が離れています。

あきらのご両親と店長は同い年、もしくは店長の方が年上でもおかしくはありません。

世間体だとかご両親への体面とか考えたらゾっとするのが現実でしょう。

しかも店長とバイトですからね。「娘をファミレスでバイトさせたら同世代の彼氏兼上司を連れてきた」とかお母さん卒倒ものですよ。

 

③45歳と17歳という現実

ここが一番問題として大きいでしょう。

事あるごとに、そして終盤なんて特に店長はあきらと自分の立場を比較していました。

「橘さんは生きてるなァって」セリフは重いですね。

17歳なんてまだまだこれからですからね。45歳の彼から見たら「たった17年」でしょう。

当時は辛かったり思い悩んだり苦しみ抜いた日々だったかもしれません。

しかし振返って見てみた時、どうしようもなくそれらが眩しく見える。

そんな日々の真っただ中にいる彼女に感じる自分との違いに店長は現実を見てしまったのでしょう。

 

 

あとは自身がバツイチで子供までいるとかそんな事も気にしてそうですね。

作中ではその辺出てきませんでしたけど。

 

あと17歳のあきらが今後どう変わっていくかというのもちょっと予想してたんじゃないかなって。

モテモテという訳ではないにせよそれなりに恋愛経験も積んできた事でしょうし、

未来はこれから=多くの事を知り、大きく価値観も変わるであろう子が自分の残された人生に寄り添ってくれるのか?という不安≒予感も感じたのではないでしょうか。

まあそこまでではないにせよ、まだまだ成長途中なあきらです。

恐らくこれから色んな事を知り、出会い、経験してくでしょう。

そしてその時々に変化が訪れるはずです。

だからこその「橘さんは忘れたっていいんだ」なんじゃないでしょうか。

彼女の未来を大いに祝福するかのような大人としての一言の様に思えます。

 

直後セリフの無い会話シーンが描かれますが、恐らくガーデンを辞めるよう言ったんだと思います。

でないと未練が残るから。彼女には巣立って欲しいから。

どこまでも大人な近藤店長ですね。

 

そして見事にあきらは陸上選手として復活します。

 

そして店長は・・・

少し寂しくなったガーデンで変わらぬ日常を過ごしています。

あきらから貰った手紙を終ぞ見ないまま。

 

でも店長も変わったんですよね。本人はずっと変われないと言い続けてますが。

まず10年ぶりに同級生と飲んだのもそうですし、何よりまた文を書き始めました。

本人からしたら日常に少し変化が生じたという認識でしょうけど、

彼のリアルな停滞を10巻も見せられていた我々からしたら大きな変化です。

 

というか今更ですけど店長の経歴って結構謎ですよね。

まず早稲田出身なのは確定です。高学歴ですね。

「早稲田出がファミレスの店長」というポジションは一般的に見て「えー!?」と言われるものでしょう。

作中でも加瀬君が「大学だけじゃなく進路も真剣に考えるんだぞ」って吉澤君に言ってましたし。

恐らく30前半まで小説家になるという夢を追い続けていたんじゃないでしょうか。

で、勇斗君誕生を機に夢を追いかけるのは辞めた、と。

勇斗君は10歳、ちひろと再会したのは10年ぶり(くらい)。時期がピッタリ合います。

そしてファミレスの店長に就任したのが6年前。

4年間空白がありますが劇中で一切描写がないので謎です。

アルバイト→社員登用の期間かもしれません。

夢追い人から現実の社会人への環境の変化が奥さんとうまくいかなくなった原因かもしれませんね。

 

まとめると

近藤店長:かつては夢追い人。

高学歴に関わらず現在はファミレスのしがない店長(昇進の見込み無し)

 

ちひろ:夢を追って叶えた人。恐らく近藤店長の挫折を機に疎遠に。

本人の態度から近藤店長への友情はずっと変わらずあった模様。

あきらとの交流を経て店長に良い変化が現れた事を示す象徴的存在。

 

あきら:日々様々なものを吸収して成長していく変化の象徴。

本音の底の底に陸上復帰への熱を秘めていた。

それを好きな人に諭され(見抜かれ)復帰へ。

恋心そのものの行方は・・・?

 

 

あきらの部分から日にちが経ってから書いたので当時自分がどういう風に書きたかったのか、

正直忘れてしまいました。が、最後の締め(下記)は当時の記憶がはっきり残ってるので大丈夫です!

 

 

各所でバッドエンド、店長が振り回されただけ等々希望を打ち砕かれた声が多数見受けられました。

が、しかし!私は敢えて希望を見出そうと思います!

勿論「それぞれの道エンド」が嫌いな訳ではありません!なので「敢えて」です。

 

最後の最後、あきらは店長から貰った傘を使います。

それは雨傘ではなく日傘でした。

店長とあきらを結び付ける雨の日には使わないもの=二人の関係の離別の象徴とも読めますが敢えてね!

「“彼女は恋をしていた。”」「“青い夏の、雨上がりの空に―――”」

していた、と過去形ですがだからといって現在を否定するとも限りません。

実はあきらの恋心は今の胸の中にくすぶってるとも読めます。

過去形でかつての恋心を(現在で)否定するなら後の文(青い夏の~)と噛み合いません。

だって店長に恋をしていたのは2年の冬までのはずですから。

とすると最後のこの文章は現在のあきらを示すものであり、

あきらは店長への恋心を失っていないとなるのではないでしょうか。

 

単行本のおまけも意味深です。

ちひろが「つまずいたらどうするかって?立ち上がれば良いのさ!」と締めますが、

これは何にかかっているのでしょうか。

全ての人へのエールとも読めますが、その直後のコマで描写されているのはあきらです。

あきらの挫折は陸上ですがあのセリフの時は当然復帰後です。

まあ挫折からの立ち上がりの代表例としてのあきらなのかもしれませんが、

もう一つの挫折であろう失恋に対しても「立ち上がれば良いのさ」って言ってるようにも思えます。

ちょっと希望の持てるシーンだったのではないかと私は解釈しています。

 

二人に幸あれ!以上、「恋は雨上がりのように」の感想でした。

書き始めて結構日にちが経っちゃいました、あはは。